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三日後

三日後

四月五日、ソ連は日本に対して日ソ中立条約の不延長を通告した。 一カ月後、ドイツが降伏した。おりしも、毛沢東に最高指導者の地位を与える中国共産党全国代表大会が開催されている最中だった。毛沢東は、共産党の勝利も近い、と、代表委員たちを激励した。また、ソ連軍はまちがいなく共産党軍の援助に回るはずである、と発言し、満面の笑みを浮かべながら自分の首に手刀を当てて、「そうならなかったら、わたしの首を献上しましょう!」と言った。そして、スターリンに対して毛沢東の生涯で最も親情あふれる賛辞を寄せた。「スターリンは世界革命の指導者か?

 

一九四五年八月九日深夜零時一〇分、アメリカが世界初の原子爆弾を広島に投下した三日後、 一五〇万を超えるソ連oモンゴル連合軍が太平洋岸からチャハル省まで続く四六〇〇キロ余りの長大な戦線を越えて中国に侵攻した。バルト海からアドリア海に至るョーロッパ戦線をはるかにしのぐ長大な戦線である。四月、毛沢東はソ連軍の侵攻地点付近に配置した共産党軍に対して、「ソ連と協調して戦う」準備を整えるよう命令した。ソ連oモンゴル連合軍が中国に侵攻すると同時に毛沢東は不眠不体で部隊を動かし、ソ連・モンゴル連合軍と連繋して侵攻後の領地を占領する作戦を開始した。毛沢東は執務室を棗園の講堂に移し、次々に訪れる軍の指揮官に指示を与え、机がわりの卓球台で電文を起草し、手を休めるのは食べ物をかき込むときだけだった。