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スケジュールの遵守

スケジュールの遵守

ヤルタ合意のもとではソ連は中国侵攻前に落介石と条約を締結することになっていたが、スターリンは構わず軍を進めた。 一週間後、ソ連軍が中国国内に何百キロも侵攻した状況下で、落介石政権の外は不承不承に中ソ友好同盟条約に署名した。これによって、外モンゴルは正式に中国から切り離されることになった。代償として、落介石はソ連に対して落介石政権を中国の唯一合法な政府と認めさせ、ソが占領した領土を落介石政権以外には返還しない、と約束させた。

 

 

そうした約束にもかかわらず、スターリンはさまざまな抜け道を見つけて毛沢東を支援した。手始めは、撤兵スケジュールの遵守を拒否するだった。スターリンはソ連軍を三ヵ月以内に撤退させるという口約束をしたが、この条項を合意文書に記載することを拒んだ。その結果、撤退期限は拘束力のない「議事録」の形で添付されるにとどまった。実にはスターリンは三ヵ月をはるかに超えて中国に軍を駐留させ、この占領期間を利用して蒋介石の目標達成を阻み、ひそかに領土や資産を毛沢東に移譲した。☆スターリンは独自の侵略目標も抱いていた。外モンゴルに隣接する中国の蒙古地方を一部分離し、それをソ連の衛星国である外モンゴルに併合しようと考えていたのである。