山東から派遣された兵士たち

山東から派遣された兵士たち

共産党軍も抗日戦争のあいだ何度か正面戦を経験してはいたが、その大半は国民党軍の弱小部隊が相手であり、蒋介石軍の精鋭部隊と戦った経験はなかった。共産党軍指揮官の一人は、蒋介石の精鋭部隊は体力気力が充実して訓練も行き届いた「アメリカ式の部隊」で戦闘意欲も高い、と沢東に書き送っている。共産党軍は訓練が不十分なだけでなく、士気も低かった。日本との戦争が終わったいま、多くの兵士はとにかく平和を望んでいた。共産党軍は「打敗日本好回家」(日本を打ち破って家へ帰ろう)という宣伝歌を使っていた。

 

 

日本の降伏後、この歌はいつの間にか歌われなくなったが、望郷の思いは歌声のように容易に消せるものではなかった。東北へ向かった共産党軍の主力は山東から派遣された兵士たちで、行軍中の彼らに向けて飛ばされた檄は、高邁な理想ではなく物質的利益を強調するものだった。軍長陳毅は、士官たちを前にして次のように訓話した。「延安を発つにあたり、毛主席から諸君に伝えてほしいと言われたことがある。諸君はこれから良い地方へ行く、非常に楽しい場所へ行く。そこには電灯がともり、摩天楼がそびえ、金子銀子がたっぷりある……」。別の指揮官は、「東北では三食とも米や白い小麦粉?良い食事?が食べられる」し、「全員に昇級が与えられる」、と訓示した。それでも士気を高めることは難しく、部隊全員が乗船を終えて出航するまで行き先が東北であることを知らせない指揮官もいた。徒歩で東北へ移動した部隊の将校たちは、兵士の士気が最低だったことを記憶している。ある将校は、つぎのように述懐する。