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大規模な戦闘

大規模な戦闘

 一一月一五日から一六日にかけての夜、蒋介石軍は山海関を強襲した。毛沢東は、この戦いを「決戦」と心得て山海関を死守せよ、と命令したが、蒋介石軍の師団は共産党軍を蹴散らし突破した。共産党軍はあっけなく潰走し、国民党軍司令官の一人は、「われわれのほうは人数が少なくて、共産党軍が放棄していった武器をぜんぶ回収できないくらいでしたよ」と、自慢そうに嘆いてみせた。共産党軍は望壕戦の経験がないばかりか、近代戦そのものをまったく経験したことがなかった。ゲリラとして戦ってきた共産党軍の第一原則は、毛沢東が定めた「敵が前進してきたら退く」であった。今回も彼らはそのように戦った。 一方、蒋介石軍は日本軍との大規模な戦闘を経験していた。

 

 

ビルマでは、国民党軍は一回の作戦行動で共産党軍が八年間に中国全土で打ち破った日本軍の兵員数を上回る規模の日本軍部隊を撃破した実績があった。国民党の東北最高指揮杜華明は日本軍との大規模な戦闘を指揮した経験が豊富だったが、東北に展開する共産党軍の総司令林彪は八年前の一九二七年九月に平型関でたった一度待ち伏せ攻撃をおこなった経験があるだけで、その後はほとんど硝煙臭さえ嗅いでいないようなありさまだった。日本軍との交戦を極力回避しつづけてきた結果、毛沢東は近代戦を戦えない軍隊を持つことになってしまった。